旧ユーゴスラビア、セルビアにホームステイしたのは20才の時。
大学のルームメイトがセルビア人で、
その子の卒業とともに一緒に飛行機に乗り、彼女の家へ。
ボスニア紛争が終わって、約4年後のこと。
セルビアのノビサドのルームメイトの家に1ヶ月滞在し、
彼女の両親にいろんなところに連れて行ってもらって
たくさんの人々と出会い、楽しい日々を過ごした。
出会う人皆優しく友好的で、初めて会う時には必ずプレゼントをくれる。
そういう習慣なのだそうだ。
ルームメートの両親からは金のネックレス、
友人たちからはペンやチャームと、会うたび土産が増えていく。
おばあちゃんから若い男性から、浴びるようなキスには慣れた。
おばあちゃんのキスは、両ほほの後は唇にまっしぐら。
若い人はもうちょっと控え目。
ルームメートの両親は特に優しくて、
セルビア人に比べて幼く見える私を子供のように扱って
バスの中では膝の上にのるように言うほど。
とにかく世話を焼いてくれた。
朝ごはんのメニューは毎日決まっていて、
大きな冷凍庫から丸ごとのチキンを取り出し
スープやリゾットをMima(roomieのママ)が作ってくれる。
本当は毎朝パン食だけれど、日本人の私のために
1ヶ月お米料理を出してくれた。
Mimaの料理はとにかくおいしくて、ずっと忘れない。
日本やアメリカとの違いは、店にものが少ないこと。
スーパーの店内は暗く、棚にやっと1商品ずつある感じで
全ての棚がすかすか。
日用品は1点ずつあるかないか。
逆にパンなどは小さい販売用のブースに
上から下までぎゅうぎゅう詰めになっていて
早朝にはパンを求める人でにぎわっていた。
全体的に電気系のものが整っていなくて、若干不便さがある。
真夏の映画館では汗だくで観る。
街へ出ると、トイレという概念は忘れるしかない。
それでも伝統的な城を訪れたり、夜のプールで遊んだり、
街で偶然出会ったラジオのDJに出演オファーされたり
行きかう人たちが口々に「ヤパンカ!」と手を振ってくれたりと
楽しいことばかりで、温かい人たちに囲まれて過ごした。
滞在中、親戚の家まで行くからと小さな車に乗って
数時間かけてボスニア・ヘルツェゴビナへ。
どこまでも続く、赤いヨーロッパの屋根とひまわり畑。
ボスニアまで来てまさか国境を超えると思わなかったので、
パスポートを持たなかったのに、検問所では
「日本人?オッケー」とパスポートもビザもなしで素通り。
最近テレビで池上彰さんが、ボスニアに入国する際
同じ検問のある橋を渡るシーンが写っていて、
そうだよねー、パスポートいるよね!って思いながら見てた。
ボスニアにはルームメイトの親戚が住んでいて、
可愛い兄弟が迎えてくれた。
ボスニア・ヘルツェゴビナ。
日本にいた時には、名前しか知らなかった国。
高校生でニュースを見る暇もなく勉強と遊びでいっぱいで。
滞在先の親戚の家では、広い田舎の庭でラズベリーを収穫しすりつぶして
ラズベリーミルクを作ったり、裏の湖でボートに乗って遊んだり。
その平和な風景の中で、この湖は死体でいっぱいだったんだとか
ルームメイトの両親の実家は、難民の家族に貸していたり
街中の建物には銃撃戦の後の弾痕がたくさん残っていて
そこら中に、紛争の跡が残ってた。
一番覚えているのは、フェンスの向こう側の小学校の校庭に
大きな爆弾の跡が大きく空いていたこと。
小学校の建物の壁には無数の銃痕。
その帰り道、兄弟の兄が経営する洋服店で
好きなものを1つ選んでいいと言われ、
また湖で遊べるように水着にしたんだった。
死体が浮いていた湖と言われても、
そこにはただ静かな水面が広がるばかりで
なんの想像もつかず、ただ楽しく過ごしただけで。
ノビサドの家に戻った後に見たニュースでは
集まった家族や友人たちがいつもとは違って
真剣にテレビを食い入るように見つめていたから聞いたら、
「またモスリムが攻めてくるかもしれない」と一言。
それ以上は聞けなかったけど、
ホントにうちの母親もよく渡航を許したよな、と思う。
他の国なら数千円で済む渡航の保険料が
4万円もしたのよ!と後で言われたけど、
いろいろずれてるのがうちの母だ。
第2の故郷とも、セルビアの両親と思うほど
ステキな記憶を後に帰国して
その後、関心を持ってボスニア紛争について調べ
わかりやすく解説をしてくれるテレビは必ず見たけれど、
どうしても何も腑に落ちないし、わからなくて。
なぜ、あんな温かい人たちの間でそのようなことが起きたのか。
旧ユーゴスラビアで出会った人たちは
誰もが優しくもてなし、たくさんの思い出をくれた。
ただ今思うのは、日本人は極限までファンタジーの中で
生きればいいのではないかということ。
攻められるのを守るのは今のままでもできる。
でも、どこかの小学校に爆弾を投下する国に
なる可能性をつくる必要はないと強く思う。
その他の付随するいろいろなオプションや可能性を聞いても
それでもやっぱり、一番は誰かを殺す権利を持たないこと。
インタビューに答える平和ボケしたおばちゃんを見ると
どうかと思うけど、それも心理操作なのかもと思う。
いろんな起こりうるマイナスを理解して受け止め、
それでも戦争に加担しない国を貫くのも
ファンタジーのように平和を主張し続けるのも
それも大きな覚悟と責任をしょって選ぶことかもしれない。
ただ、だだをこねる子どものように、このままがいいと
誰かが助けてくれるはずだから何もするつもりがないと
主張しているわけではないんだ。
セルビアのお父さんは、バス停でバスを待っていたら
徴兵されたそうだ。
そのまま、帰ることができなかったと聞いた。
この後、どのような情勢が待っているかはわからないけれど
戦争をしかけることができない日本は素晴らしいと思うし
それで国際的な責任を果たしていないとも思わない。
明日の選挙を前に、ボスニアのことを思い出したので。
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