母の実家では、ひいおばあさんのことを
「ぴーちゃん」と呼びます。
先週の月曜日、子供たちのひいおばあさんにあたる私の祖母が亡くなったと
母から電話がありました。
その日の朝はとてもバタバタしていて、やっと家族全員を送り出し
さあ、出かけようと思っていたところでした。
ぴーちゃんは94歳で、寝ている間に亡くなったのでまさに大往生です。
それでも、やっぱりあわあわしてしまって
東北にある母の実家へ帰るのに、主人や妹、母に何度もメールと電話をして
家を数日空けるので、思いつくことを片付けて
クリーニングを取りに行きながら子供達を迎えに行き
昼に帰ってきた主人と合流して車で高速に乗ったのが午後2時でした。
田舎のお葬式は、主人いわくスケジュールがのんびりしている?ので
お通夜の2日後に火葬、その2日後にお葬式です。
数年ぶりの母の実家に到着したのは、夜の9時を過ぎ
親戚のおじさんたちが、いい感じにお酒のまわったころした。
私の祖父が亡くなってだいぶたちますが、
お通夜の後は、家族で祖父を囲んで大きな座敷で眠りました。
祖母のお通夜の夜も、家族が一緒の部屋で眠ります。
子供達は、同じ部屋で眠ってどう感じたかなぁ...
わたしが亡くなった祖父と一緒の部屋で眠った夜は
寝ているだけのような祖父のお腹の辺りの布団を
息をしているようにこっそり押したり膨らませたりして、母をちょっぴり笑わせました。
祖父が亡くなった時は、病院のトイレで隠れて泣いていた母でしたが
祖母が亡くなって、どこかで泣いていたのかな?
笑顔で姪っ子と遊んでいましたが、きっと寂しいはずです。
母の妹の、兄弟で引き取って祖母の介護を始めてから
長かったようであっという間の3年8ヶ月だった
と言ったときの表情が印象に残っています。
ぴーちゃんは、本当にいい娘と息子に恵まれました。
妹夫婦は、仙台空港の不発弾騒ぎで飛行機が飛ばず
大変な思いをして新幹線で向かっていましたが、
(姪っ子がお猿さんのような奇声をあげ続けていたそう)
その日のうちに母の実家まではたどり着けず、母の家で一晩を過ごすことになり
家と車の鍵を届けがてら、私達も一旦仙台へ。
かわいいちびさんたちに合えるので、娘たちも大喜び。
深夜駅に迎えに行ったときには、私達の車を見つけた甥っ子が飛んできました。
ちびさん達をむぎゅ~~っとしていると、次女がすかさず耳元で、
「(甥っ子をかわいがっていても)私、もう泣かないよ」と、ひと言。
忘れていたけれど、夏休みに甥っ子達をかわいがっていたら
次女がすねて泣いてしまい、機嫌を直すのにだいぶかかったのでした。
甥っ子と言えば、ぴーちゃんとはオムツの取り合いをする仲。
二人とも自分のものだとオムツを引っ張り合って、
取り合いのけんかをしたことは、今でも家族の笑い話です。
そんな甥っ子が、「ぴーちゃんにお別れ言われへんかった」と
とても残念そうに繰り返し言ったのが忘れられません。
***
お通夜の翌日、何もすることがなかったので
母の実家からほど近い、平泉へ。
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